養老元年(717年)、山岳修行者であった泰澄によって白山が開かれたそうです。その時に那谷寺も開創されたそうです。巨岩(なんとも形容しがたい奇岩)にお堂を建立し、本尊として十一面観世音菩薩を安置したそうです。巨岩にちなみ、当初は岩屋寺と呼ばれていたそうです。後に、花山法皇が御幸された際に、巨岩と洞窟内のご本尊に感動され、那谷寺と名をあらためたそうです。花山法皇は、西国三十三所の再興の祖ともいわれる方ですが、その一番札所である那智山青岸渡寺から「那」を、三十三番札所、谷汲山華厳寺から「谷」をとって那谷寺とされたとのことです。巨大な岩に圧倒され、境内を取り巻く森林に癒され、そして白山信仰を色濃く感じられる素晴らしいお寺でした。
お昼過ぎに、那谷寺の駐車場に到着。あいにくの雨です。そのためなのか、広い駐車場に車が、ほんの少ししか止まっていません。傘をさして早速、拝観料を納めて山門へ(写真①)。
山門の入口に境内図(写真②)がありました。ここで、全体像を確認です。山門から中へ入ると、長い参道(写真②)です。あれっ!すごいな!という感覚にとらわれました。木立に囲まれた深遠なる参道です。雨のせいか、余計に幽玄な世界に入り込んだ感じです。
参道に入ると、すぐ左手に、金堂、書院、普門閣、宝物殿、御朱印はこちらと書かれた標識がありました。まずは、金堂「華王殿(けおうでん)」(写真④)を参拝することに。こちらには、十一面観世音菩薩、白山曼荼羅、泰澄神融禅師、花山法皇象などが安置されているそうです。庭園と書院を別料金で拝観できるそうですが、雨でもあり中止しました。
参道に戻り、しばらく進むと、左手に巨大な岩場(写真⑤)が見えてきました。「奇岩遊仙境」というそうです。正面からみると(写真⑥)いくつかの洞窟があります。観音様がおられるのでしょうね。岩に刻まれた階段が見えます。極度の高所恐怖症の私には不要です。でも花山法皇はお上りになったのでしょうね。
この景観を楽しみながら先に進むと参道は左に折れ、本殿「大悲閣」に導かれます(写真⑦)。
門をくぐると「不動明王の霊水」(写真⑧)があります。古来より涸れることなく、こんこんと湧き続けている霊水だそうです。念珠や指輪などに願いを込めながら霊水をかけると、不動明王の加護を受けられるとのことです。このお寺のパワースポットの一つだそうです。
この霊水の背後に鎮座する稲荷社へ向かって、あたかも岩を上っているように感じられる朱の鳥居(写真⑨)があります。現在は、安全と景観保護のため立入禁止だそうです。
稲荷社へは、一つ目の鳥居の所で遥拝。
そして正面の階段(写真⑩)が本殿へと続きます。
本殿(写真⑪)は懸造りです。一向一揆の兵乱(織田信長でさえ苦しめられた一向宗徒ですよね)で荒廃したそうですが、前田利常公の庇護により寛永19年(1642年)に再建されたそうです。ご本尊の十一面観世音菩薩が安置されています。
本殿での参拝を終え、さらに進むと池(写真⑫)が見えてきます。大池というのだそうです。
大池を眺めながら道なりに進んでいくと美しい三重塔(写真⑬)が見えてきます。寛永19年(1642年)、徳川家綱公の誕生祝いに前田利常公が建立したものだそうです。胎蔵界大日如来が安置されています。この大日如来は、元は那谷寺根本堂の本尊でしたが、南北朝の戦乱で建物が焼かれた際、白山宗徒により火中から運び出されたものだそうです(いろいろ歴史がありますね)。
大日如来を参拝して楓月橋(写真⑭)を渡り、展望台へ。写真⑮は展望台から眺めた奇岩遊仙境です。
展望台から下って、白山神社へ向かいます。その途中に庚申塚(写真⑯)を参拝。この庚申塚は縁結びの神様として親しまれているそうです。
そして、白山神社(写真⑰)を参拝。白山信仰では、白山神は、十一面観世音菩薩の仮の姿とされているそうです(本地垂迹説ですかね)。神仏習合が色濃く残っている感じがします。
白山神社から護摩堂(写真⑱)を参拝し、鐘楼を経て、山門近くの参道へ戻り、金堂で御朱印をいただきました。
奇岩や掛けづくりの本堂、美しい三重塔などとても素晴らしいお寺でした。広い駐車場が用意されている理由がわかりました。
那谷寺(なたでら)
山号:自生山
所在地:石川県小松市那谷町ユ122
宗派:高野山真言宗別格本山
御朱印:大悲殿(千手観世音菩薩)
本日の御朱印旅
(富山県南砺市)瑞泉寺→井波八幡宮→(石川県金沢市)大乗寺→
(小松市)那谷寺→(福井県あわら市)吉崎御坊(吉崎寺・吉崎西別院・吉崎東別院・願慶寺)