産田神社・花窟神社の御朱印旅

伊弉冉尊が、火の神である軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を生む際にほとを焼かれ、これが原因で神避られ(亡くなる)ます。亡くなられた場所が産田神社、墓所にあたるのが花窟神社だそうです(古事記では、いとおしい妻を火の神(軻遇突智尊)の誕生と引き換えにしてしまったことを嘆いた伊弉諾尊は、軻遇突智尊の首を切ってしまいます。神話も結構怖いです)。どのような所か、知らずに訪問したのですが、なんとも趣のある両神社でした。ぜひとも両方へ参拝していただければと思います。車で数分の距離にあります。


 

産田神社:弥生時代からあったとされる神社です。車を神社入り口の空き地に停めて鳥居(写真①)を抜けて境内(写真②)へ。そして本殿(写真③)で参拝。社殿を持たないころは、神の依り代として「神籬(ひもろぎ)」を作り、そこに神様をお招きして祭祀を行ったそうです。その神籬が2カ所ほど本殿の両側に残っています。神社の歴史を物語っています。

参拝を済ませ、御朱印をいただければと思いましたが、社務所には、どなたも居らず御朱印はいただけませんでした。

素敵な神社なの残念。そして、次の訪問地「花窟神社」へ向かう。

写真①:産田神社入り口


写真②:産田神社参道

写真③:産田神社社殿



 

花窟神社:産田神社から車で数分の距離、海岸を走る国道42号(熊野街道)沿いに鎮座していました。車を道の駅「花の窟」に停めさせてもらい神社へ。鳥居(写真④)を通り参道(写真⑤)を抜けると、なんと正面が大きな崖というか巨岩(写真⑥)が現れます。

この巨岩こそが御神体なのだそうです。

崖の下には、御祭神である伊弉冉尊(写真⑦)と軻遇突智尊(写真⑧)が祀られています。

写真④:花窟神社入り口の鳥居


写真⑤:花窟神社参道

写真⑥:花窟神社の御神体


写真⑦:伊弉冉尊を祀る

写真⑧:軻遇突智尊を祀る


 

写真⑨⑩は「お綱かけ神事」ではられた綱です。

巨岩の御神体から7本の小綱(7つの自然神=風・海・木・草・火・土・水の神)で束ねられた大綱がかけられ、その大綱に3神(太陽の神=天照大神、月の神=月読尊、暗黒の神=素盞鳴尊)を意味する旗縄がぶる下がっています。詳細は写真⑪参照

写真⑫⑬は国道から御神体と綱を見たところ。

綱を何人もの人が浜辺(写真⑭)に出て引っ張るのだそうです。

そして最後に綱は写真⑮のように繋ぎ留められます。

参拝後、社務所にて御朱印をいただく。ここで、産田神社の御朱印もいただけました。

写真⑨:綱かけ神事で張られた綱1


写真⑩:綱かけ神事で張られた綱2

写真⑪:綱かけ神事を示す看板


写真⑫:国道からみた御神体と綱1

写真⑬:国道から見た御神体と綱2


写真⑭:この浜で綱を引っ張るのだそうです

写真⑮:綱を繋ぎとめる所



産田神社(うぶたじんじゃ)

鎮座地:三重県熊野市有馬町1814

御祭神:伊弉冊尊、軻遇突智尊、伊弉諾尊

    合祀:天照皇大神、大山祇命、

    木萃開邪姫命、神武天皇

 

花窟神社(はなのいわやじんじゃ)

鎮座地:熊野市有馬町130

御祭神:伊弉冊尊、軻遇突智尊

 

この日の訪問地:産田神社花窟神社

→尾鷲神社(尾鷲市)→頭之宮四方神社

(大紀町)→瀧原宮(大紀町)でした。